知る幸せと知らない幸せシリーズ
「ただ大きくなった坊やを一目でもみせたかった」
―― 坊や。――
81年間、 一度も母に呼ばれなかった父が、 はじめて呼ばれた日。
父が81年間、一度も聞いたことのなかった声がありました。
実の母の声です。
父は1歳で母を亡くし、顔も知りません。写真も、手紙も、何も残っていませんでした。
その朝、電話が鳴りました。
いとこの死
いつもは冷静な父でしたが、声が震えていました。
「いとこが亡くなった」
私は44歳。父は81歳。
警察署へ向かう車。助手席に、父。
高速道路。
父の横顔。
老いた顔に、光と影が、流れていきます。
料金所を過ぎたあたりで、父が話し出しました。
いとことは、よく浅草のどじょう屋で酒を酌み交わした。
哲学を語り合った。
ある夜、いとこが言った。
「我々の存在は、川の流れのようなもの。方丈記そのものだ」と。
祖母は、父が幼い頃、戦時中に亡くなりました。
いとこは、祖母の弟の息子です。両親を空襲で失い、天涯孤独になりました。
生涯結婚せず、今朝、アパートで死んでいるのが見つかりました。
孤独死でした。
古びた缶
数日後、故人のマンションで遺留品を整理していました。
古びた缶。
錆びた蓋を開けた瞬間、手が止まりました。
数十通の手紙。
父に電話をかけました。
「父さん、手紙が……」
言葉が続きませんでした。
電話口で、長い沈黙。
「母の手紙かもしれない」
父の声が、震えていました。
父は、1歳で母を亡くし、一度も顔を見たことがありません。
母の文字
その夜。
家に帰り、父と二人、リビングで手紙を読み始めました。便箋は、薄く、崩し文字で書かれていました。
父が80年以上も前に失った、母の文字。
手紙は、祖母の弟に宛てたものでした。
私は、スマホで1枚ずつ、手紙の写真を撮りました。
読み進めるうちに、手紙には黒く塗られた部分がいくつかあることに気づきました。
墨で塗りつぶされている。
父が、その部分に指を当てました。
紙を、窓の光にかざしました。
墨で塗りつぶされた文字だけが、窓の光に、ぼんやり浮かんでいました。
でも、読めません。
父は、そっと紙を戻しました。
手紙の中身
手紙には、祖母自身の命の危機が、淡々と綴られていました。
父の指が、そこで止まりました。
父の手が、震えていました。
「たった一人の幼い息子を、私のような人間から離したくありません」
母は、父を見ていた。
心配していた。
愛していた。
81年間、父は知りませんでした。
さらに次の手紙。
祖母は妊娠していました。
「私ももう八ヶ月になりますが、その割合にお腹は大きくありません。無事にうまれたとしてもさぞ栄養不良の赤ちゃんでせうね。可哀さうに」
「内地から誰か来て下さればいいのですが、とても望めない事でせう」
そして、その次の手紙。
「折角かへるつもりで、船も予約していたのに」
「私の今の気持、かへりたい、かへりたいで、一ぱいです」
父の声が、震えました。
坊や
最後の手紙。
「でも、又その時になったらなんとかなるでせう」
「心こもりしお洋服を坊やが着て京都であへる日をお待ち下さいませ」
「ただ大きくなった坊やを一目でもみせたかった」
―― 坊や。――
父が、動かなくなりました。
手紙を持ったまま、動かなくなりました。
父の目から、涙がこぼれました。
音もなく。
父の唇が震え、何か言おうとしましたが、声になりませんでした。
なんとか、なりませんでした。
京都で会える日は、来ませんでした。
1940年11月8日。
祖母は、中国の張家口で、息を引き取りました。
享年26歳でした。
父は、便箋を両手で持ちました。
胸に、当てました。
父の肩が、小さく上下していました。
声を上げて、泣いていました。
私は、父の背中に手を置きました。
震えていました。
私は、父の背中に手を置いたまま、動けませんでした。
静かな夜
その夜。
家に帰って、一人、リビングで手紙を見つめています。
妻と息子の、寝息。
時計の、秒針。
静かな夜に、祖母の文字。
満州。
ハルピン。
大同。
張家口。
故郷。
その地名の向こうに、 戦争がありました。
知らぬが仏
古びた缶の底に、もう一枚の紙が、小さく丸まっていました。
いとこの、かすれた筆跡。
そこには、たった一行、こう書かれていました。
「知らぬが仏」
私は家系図を取り出しました。
祖母の死。連鎖する喪失。
いとこは、すべてを知っていたのです。
母を空襲で失い、天涯孤独となったいとこは、この手紙を、81年間、ただ一人で抱えていました。
浅草のどじょう屋で、いとこは言いました。
「我々の存在は、川の流れのようなもの」
知る幸せと、知らない幸せ。
いとこは、父の知らない幸せを守ろうとしたのかもしれません。
それとも、この苦しみを、一人で背負おうとしたのかもしれません。
その言葉の重みが、今、わかります。
息子には
私は、父の知る権利を選びました。
ただ、それは「すべてを知ること」を肯定したわけではなかったのかもしれません。
でも、息子には。
翌朝、息子が起きてきました。
「ねえ、お父さん」
私は、スマホを手に取りました。
祖母の手紙の写真。
画面には、崩し文字。黒く塗られた検閲。そして、「坊や」という言葉。
息子は、期待するように私を見ています。
私は、画面を見つめました。
長い沈黙。
そして、画面を閉じました。
「まだ早いかな」
息子は、不思議そうに首をかしげました。
「なあに?」
「ううん、なんでもない」
私は、スマホをポケットにしまいました。
リビングのテーブルに、古びた缶。
その横に、いとこの筆跡。
「知らぬが仏」
いつか、渡すかもしれません。
あるいは、渡さないかもしれません。
息子が大人になったとき、自分で選ぶかもしれません。
春
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
息子は、別の水。
私は、コーヒーを淹れました。
窓の外は、もう春でした。
