「頑張れ」と言われて、苦しくなったことはありませんか。もし少しでも心当たりがあるなら、この文章はあなたのために書きました。
「頑張れ」の違和感
深夜1時からの仕事が入りました。同僚が「頑張ってください」と声をかけてくれて、私も自分に「頑張ろう」と言い聞かせました。
でもそのとき、ふと違和感を覚えたのです。その時のことを、記したいと思います。
頑張れ、頑張れ。
世の中には、頑張れが溢れています。応援されているはずなのに、なぜか追い詰められる。励まされているはずなのに、なぜか息ができなくなる。
頑張れってなんだ?
いつものように、深く考え始めました。
頑張るの語源:我を張る
「頑張る」
この言葉は、もともと「我を張る」と書きました。
自分の意見を曲げない、自分を強く押し出す、そんな意味です。昔は頑固や意地っ張りといった、内に向かう力として使われていました。
つまり頑張るとは、自分の意志を貫くこと、自分の信念を曲げないことでした。
でも、いつの間にか変わってしまった。
「努力しろ」という、外に向ける言葉に変わっていった。そしてこの変化が、私たちを苦しめているのです。
意地という日本人の言葉
先日、実家の浦安に帰ったとき、87歳になった父と話をしました。
ロクデナシが集まる高校を卒業し、ベンチャー企業に入社して、気づけば20年以上。そんな自分に、父は「お前は、よく頑張ったよ」と言ってくれました。
そして、こう続けたのです。
「ご先祖さまのDNAが、意地となったのかな」
意地。
その言葉を聞いたとき、少し胸が温かくなりました。意地とは本来「意を地に据える」。つまり自分の心を安定させる力のことです。
困難に負けない粘り強さ、自分を支える美しい力。父が言う「意地」は、まさにそういう意味でした。
「頑張れ」が苦しくなる理由
意地も、頑張るも、本来は内に向かう力でした。
でも、その力を外に向けてしまうと、
意地は「意地悪」となり、
頑張れは「圧力」に変化する。
以前、私はこの「意地が意地悪に変わる瞬間」を、物語にしました。
「君は本当にバカだな」
その言葉で、私はある生徒を壊した。自分の成功体験を押し付けた、その瞬間。支えるはずの意地は、誰かを傷つける言葉に変わっていました。
【ショート・ショート】「『君は本当にバカだな』その言葉で、私は生徒を壊した」
(意地が意地悪に変わる瞬間を描いた物語)
深夜1時の仕事。
自分は、仕事の責任から意地になっていました。だから同僚の「頑張ってください」は、励みになりました。
でも、もし苦しくて我慢している人だったら、「頑張れ」の励ましほど、つらい言葉はないでしょう。
「頑張ろう」と自分に言い聞かせるときは、自分を支える力になります。
でも、他人からの「頑張れ」は、支えではなく期待になる。そしてその期待はやがて、圧力に変わってしまう。
父が伝えてくれた、「ご先祖さまのDNAが意地となった」その意地は、私を支える力でした。厳しいベンチャー時代を乗り越え、情熱を燃やし続けられたのは、まさしく、私の意地でした。
でも、「頑張れ」と言われ続けて耐えきれなくなった人は、去っていきました。それは支える力ではなかったのです。
意地や頑張れは、
内に向ければ、美しい力。
外から押し付けられると、圧力になる。
本来の「頑張る」は、我を張ること、意地を張ること。でも、無理に張る必要はありません。
頑張るときは頑張る、休むときは休む。
それが自然体です。
自分への言葉
では、「頑張れ」の代わりに、何と言って、人を励ますことができるのでしょうか。
私は、こう思います。
「無理しないでね」
「あなたらしく」
「あなたなら大丈夫」
言葉を、ほんの少しだけ変える。
人の強さでなく、弱さに寄り添う。
それだけで、相手を支える力に変わります。
そして、一番大切なのは、自分に「頑張れ」と言わないことです。
深夜1時の仕事。
「頑張れ」ではなく「できることを精一杯」
「無理しすぎない。ほどほどに」
そう自分に言ってあげる。
それだけで、少し楽になります。
「我を張る」
本来の意味に戻るなら、それは自分の意志や心を、大切にすることです。
頑張りすぎて疲れた自分がいるなら、その自分を、見つめてください。
でも、忘れないでほしい。
意地も、頑張るも、本来は美しい力です。
ただ、その向きを間違えないでください。
内に向ければ、自分を支える力。
外に押し付けると、他人を壊す圧力。
あなたは、もう十分に意地を持っている。
もう十分に頑張っている。
だからこれからは、自分を守るために、他人を傷つけないために、我を張ってください。
──
あなたは、誰の「頑張れ」で苦しくなりましたか。
そして、
あなたは、誰かに「頑張れ」を押し付けていませんか。
