知る幸せと知らない幸せ_性弱説

知る幸せと知らない幸せ_性弱説

昨日、電車で静かに涙を流している年配の女性を見かけました。薄いカーディガンを着て、やわらかな日差しに照らされた横顔。その涙は音もなく、まるで時間そのものが頬を滑り落ちているようでした。その姿に、なぜか懐かしさを感じました。初めて会う人なのに、どこかで見たことがあるような、不思議な親しみを覚えました。

私は何も声をかけませんでした。ただ、少しだけ距離を縮めて隣に座っただけでした。彼女が降りるとき、小さく頭を下げてくれました。その仕草に、なぜか胸が締め付けられました。私も、小さく頭を下げ返しました。

人が最も美しく見える瞬間は、泣いているときだと思う。

あの女性の涙を見ていると、遠い記憶が蘇ってきました。中学生の頃、クラスメートから言われた一言が。

「お前は弱いから価値がない」

中学生の頃、クラスメートから言われたその一言を思い出していました。その日から私は「絶対に弱さを見せてはいけない」と心の奥底で決意し、「強い自分」を演じ続けることになったのです。弱さを見せることは敗北だと信じて。

しかし、私の強がりを優しく受け止めてくれていた先輩が突然、事故で亡くなり、悲しみで泣き崩れたとき、私の仮面は崩れ落ちました。人前で泣いている私を、誰も責めませんでした。むしろ、そっと寄り添ってくれる人がいました。

先輩は私より二歳年上で、誰からも好かれる温厚な人でした。特に、困っている人を見ると放っておけない性格で、家族思いでもありました。そのとき初めて気づいたのです。人は弱いからこそ美しく、弱いからこそ愛されるのだと。

それから私は、人生には「知る幸せ」と「知らない幸せ」という二つの幸福があることを発見しました。

子どもの頃の私は、17時のチャイムがなると、夕飯の匂いに誘われて家に駆け込んでいました。あの頃の幸せは完璧でした。なぜなら、父親の深夜残業も、母親の古い服も、家計の苦労も—何も知らなかったから。何も知らない私は、まるで雲の上を歩いているようでした。知らなかったからこそ、あの無邪気な幸せがあったのです。

一人暮らしの電気代請求書を見た時、私は別の幸せを知りました。「こんなにかかるのか」—その数字は、両親の愛の重さそのものでした。知ることは痛みでしたが、同時に深い愛への気づきでもありました。

風邪をひいて一人で寝込んだとき、母親がそっと額に手を当ててくれたことの意味を知りました。友人との些細な喧嘩で、無条件に味方でいてくれる家族のありがたさを知りました。

これが、痛みを伴う「知る幸せ」でした。知ることで失ったものもあります。あの頃の屈託のない笑顔は、もう戻ってきません。でも、知ったからこそ得られた深い感謝の気持ちは、以前の幸せとは違う重みを持っていました。

あの日の理不尽な叱責を思い出すと、今でも胸が痛みます。その時の私は相手を心の中で「愚か者」と切り捨てていました。自分だけが正しく、相手だけが間違っていると。

後日、その人の事情が明らかになりました。引継ぎの混乱、上司からの重圧、逃げ場のない状況。彼もまた、私と同じように脆い存在だったのです。

その瞬間、恐ろしい真実に直面しました。人は弱い存在だから、時として他者を傷つけてしまう。そして私も、その弱さから逃れることはできない、と。

祖母が若い頃の話を聞いたとき、「あの時代は大変だったでしょう」と言った私に、祖母は首を振りました。「そんなことないよ。その時はその時で、楽しいこともたくさんあったから。隣のおばさんが大根一本分けてくれただけで、こんなに嬉しいことはなかった。今の人は選べすぎて、かえって大変じゃないの?知らなかったから、悩まずに済んだのよ。」

思春期になると、子どもの頃には知らなかった世界の複雑さに気づき始めます。親の苦労、社会の不公平、人間関係の難しさ。知れば知るほど、以前の無邪気さは失われていきます。でも、知ったからこそ得られる深い理解や共感もあります。

就職活動をしている頃は、自分でやりたいことを選択できる自由を知る幸せがありました。しかし、社会に出ると、想像していた以上の現実の厳しさに打ちのめされました。

結婚生活でも同じことが起こりました。新婚の頃は相手のすべてが愛おしく見えていたのに、日常を重ねるうちに、些細な習慣や価値観の違いで口論が絶えなくなりました。「あなたのことは、もう好きじゃない」と言われたときには、絶望しました。

でも、ある日、子ども同士のトラブルで、こころ悩ませているとき、私は初めて彼女の弱さを見ました。強がって見せていた妻もまた、壊れやすい存在だったのです。そのとき気づいたのです。お互いの弱さを知ることで、より深く愛し合えるのだと。

自分が親になると、両親の苦労を身をもって知ります。そして気づくのです。子どもの頃、親に心配をかけまいと強がっていた自分も、実は親を悩ませていたのかもしれない、と。

50代になった今、私は一つのことを理解しました。知る幸せと知らない幸せを、ある程度コントロールできるようになったということを。

でも同時に、理解すればするほど、人との距離を感じることもありました。誰もが抱える孤独を知ってしまったからこそ。

すべてを知る必要はないのです。友人が「最近のニュース、ひどいことばかりで見てられない」と言ったとき、私は「じゃあ見なければいい」と答えました。彼女は驚いた顔をしましたが、私は本気でした。

自分にできることには限りがあります。すべての問題に心を痛めていては、自分の心が壊れてしまい、本当に大切な人を支えることもできなくなってしまいます。

あのとき、私が一人で昼食を食べていると、先輩は何も言わずに隣に座ってくれました。私が胸の内を話すと、ただ一言、「気にするな」と。その時、私は初めて肩の力が抜けるような感覚を覚えました。

人は、薄いガラスでできた器のような存在なのです。壊れやすいからこそ美しく、透明だからこそ光を通すのです。そして、ガラスは粉々に割れてしまうと治すことができません。性善説でも性悪説でもない。ただ、弱いのです。

弱さを認めたとき、私は初めて、本当の意味で人とつながることができたように思います。

弱さを隠すのではなく、弱さを受け入れることで生まれる強さ。助けを求めることを恥じない関係、完璧でなくても支え合える職場、失敗を責めるのではなく学びの機会とする社会。

知ることで見えてくる人間の弱さ。

でも、私はもうそれを恥じません。むしろそれこそが、私たちが人間である証なのだと。

知る幸せと知らない幸せ。それは呼吸のように、私たちの内で静かに繰り返されています。弱い存在だからこそ、私たちは両方の幸せを味わうことができるのです。

そして最後に、私たちが向き合う究極の選択があります。それは死という「知る」と「知らない」の境界です。子孫のない人は、自分の死をすべて知ることができます。それは終わりであり、完結であり、ある意味で完璧な「知る幸せ」です。人生のすべてを自分のものとして孤独を受け入れ、何も後に残さない潔さがあります。

一方、子孫を持つ人は、自分が見ることのできない未来を「知らない幸せ」として子どもたちに託します。自分の人生が完結しないからこそ持てる希望、見ることのできない明日への期待。それは不完全だからこそ、弱く美しい幸福です。

どちらが良いということではありません。ただ、人間の弱さは、この最後の選択においても、私たちに異なる幸福を与えてくれるのです。

彼女の様子を電車の窓越しに追いかけると、自分の顔が映りました。頬に、冷たいものが伝っているのを感じました。

そのとき気づいたのです。

最初から泣いていたのは、私の方でした。

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