我慢シリーズ
本作品は、【物語】七慢・増上慢|思考停止の解説エッセイです。
著書『考えるチカラと言葉にするチカラ』にも関わる内容のため、一部を有料エリアにしています。
私が、我慢の語義変遷について調べだしたきっかけは、企業のリスクコンプライアンス担当で、ハラスメントと向き合ってきたからかもしれません。
昭和、平成、令和と、ハラスメントを取り巻く環境は、大きく変わりました。
一人ひとりの人権が守られるようになり、暴力だけでなく、罵詈雑言や、人の嫌がることそのものも非難されるようになりました。
それでも、ハラスメントという言葉は、減りません。むしろ、形を変えながら、残り続けています。
そんな中で、気になる言葉がありました。
新人が新しいことを覚えるとき、よく口にする、
「我慢しています」
という言葉です。
そのたびに、少しだけ違和感がありました。
「我慢」と「忍耐」は、本来、同じものではない。そう思い、語義を調べはじめたのがきっかけです。
我慢と忍耐は、違う。
でも、私たちは同じ言葉で呼んでいる。
だから、話が噛み合わない。
そして、多くの人が、いつの間にか、別の意味へ変わってしまった「我慢」という言葉に縛られている。
前回の『【物語】七慢・増上慢|思考停止』を読んで、少しだけ違和感が残ったかもしれません。
「なぜ、やめないのか」
その問いです。
多くの人は、「やめない」のではありません。やめられない状態にいます。
仕事も、人間関係も、日常も。
やめたいと思いながら、続けている。
その状態を、私たちは「我慢」と呼んでいます。
我慢は、本当に「耐えること」なのか
私たちは長いあいだ、
「我慢=耐えること」だと教えられてきました。
守るものがあるから、つらくても耐える。
理不尽でも受け入れる。
それが大人であり、社会人であり、正しいことだと。我慢は美徳であり、我慢が足りない者は弱いとされる。
しかし、本当にそうでしょうか。
もしそれが正しいのなら、なぜ多くの人が、疲れ、迷い、違和感を抱え続けているのでしょうか。
本当の問題は、別のところにある
問題は、「耐えていること」ではありません。
問題は、やめられないことです。
やめたいと思っているのに、やめられない。
違和感を覚えているのに、続けてしまう。それは意思の弱さではありません。
少しずつ、やめられなくなっていく。
思考停止は、どうやって起きるのか
人は、違和感に気づいた瞬間、こう考えます。
「なぜだろう?」
しかし、その直後にこう続きます。
「みんなやってることですから」
「いまのくらしを守るために、仕方ない」
その言葉で、思考は止まります。
疑問は消え、行動は元に戻る。
ですが、ここにひとつ問題があります。
私たちも、すでに同じことをしている可能性があります。この文章を読みながらも、どこかでこう思ってしまう。
「まあ、でも仕方ないよな」
「色々、理由があるんだよ」
その瞬間、思考は、静かに止まっていく。
あの物語の仕掛け
けれど、あの作品で、見られていたのは、物語の中の男だけではありませんでした。
AIが観察していたのは、読んでいる私たち自身でした。
「読みづらい」「長い」と思いながらも、読み続けた。それが、現代の我慢です。
やめたいと思いながら、続けてしまう。変わりたいのに、戻ってしまう。
それが、やめられない状態です。
記録されていたのは、
物語の中の男ではなく、私たちの読了行動でした。
ここから先は、「我慢」の奥にある話になります。
少しだけ、 深いところへ入っていきます。
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