■【解説】七慢・増上慢|我慢は、耐えることではなかった(※BLOG/エッセイ)

我慢シリーズ

本作品は、【物語】七慢・増上慢|思考停止の解説エッセイです。
著書『考えるチカラと言葉にするチカラ』にも関わる内容のため、一部を有料エリアにしています。

私が、我慢の語義変遷について調べだしたきっかけは、企業のリスクコンプライアンス担当で、ハラスメントと向き合ってきたからかもしれません。

昭和、平成、令和と、ハラスメントを取り巻く環境は、大きく変わりました。

一人ひとりの人権が守られるようになり、暴力だけでなく、罵詈雑言や、人の嫌がることそのものも非難されるようになりました。

それでも、ハラスメントという言葉は、減りません。むしろ、形を変えながら、残り続けています。


そんな中で、気になる言葉がありました。
新人が新しいことを覚えるとき、よく口にする、

「我慢しています」

という言葉です。
そのたびに、少しだけ違和感がありました。

「我慢」と「忍耐」は、本来、同じものではない。そう思い、語義を調べはじめたのがきっかけです。


目次

我慢と忍耐は、違う。


でも、私たちは同じ言葉で呼んでいる。
だから、話が噛み合わない。

そして、多くの人が、いつの間にか、別の意味へ変わってしまった「我慢」という言葉に縛られている。


前回の『【物語】七慢・増上慢|思考停止』を読んで、少しだけ違和感が残ったかもしれません。

「なぜ、やめないのか」

その問いです。

多くの人は、「やめない」のではありません。やめられない状態にいます。

仕事も、人間関係も、日常も。
やめたいと思いながら、続けている。

その状態を、私たちは「我慢」と呼んでいます。


我慢は、本当に「耐えること」なのか


私たちは長いあいだ、
「我慢=耐えること」だと教えられてきました。

守るものがあるから、つらくても耐える。
理不尽でも受け入れる。

それが大人であり、社会人であり、正しいことだと。我慢は美徳であり、我慢が足りない者は弱いとされる。

しかし、本当にそうでしょうか。

もしそれが正しいのなら、なぜ多くの人が、疲れ、迷い、違和感を抱え続けているのでしょうか。


本当の問題は、別のところにある


問題は、「耐えていること」ではありません。

問題は、やめられないことです。
やめたいと思っているのに、やめられない。

違和感を覚えているのに、続けてしまう。それは意思の弱さではありません。

少しずつ、やめられなくなっていく。


思考停止は、どうやって起きるのか


人は、違和感に気づいた瞬間、こう考えます。

「なぜだろう?」

しかし、その直後にこう続きます。

「みんなやってることですから」
「いまのくらしを守るために、仕方ない」

その言葉で、思考は止まります。
疑問は消え、行動は元に戻る。

ですが、ここにひとつ問題があります。

私たちも、すでに同じことをしている可能性があります。この文章を読みながらも、どこかでこう思ってしまう。

「まあ、でも仕方ないよな」
「色々、理由があるんだよ」

その瞬間、思考は、静かに止まっていく。


 あの物語の仕掛け


けれど、あの作品で、見られていたのは、物語の中の男だけではありませんでした。

AIが観察していたのは、読んでいる私たち自身でした。

「読みづらい」「長い」と思いながらも、読み続けた。それが、現代の我慢です。

やめたいと思いながら、続けてしまう。変わりたいのに、戻ってしまう。

それが、やめられない状態です。


記録されていたのは、
物語の中の男ではなく、私たちの読了行動でした。



ここから先は、「我慢」の奥にある話になります。
少しだけ、 深いところへ入っていきます。

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