「最近、疲れていませんか?」
忙しい日々の中で、心も体も悲鳴を上げている。そんな時、私たちは何に頼ればいいのでしょう。サプリメント?運動?それとも休息?もちろん、どれも大切です。でも、もっと根本的なものがあります。それは「言葉」です。
なぜ言葉が心身を整えるのか
私は20年以上、ウェディング業界に携わってきました。そこで気づいたのは、人生の転機に立つ人々が、必ず「言葉」と格闘しているということです。
「ありがとう」が言えない。「ごめんね」が言えない。「愛している」が恥ずかしい。
たった一言が言えないだけで、関係は壊れ、心は荒れ、体調まで崩れていく。逆に、たった一言が言えただけで、表情が変わり、涙が流れ、新しい人生が始まる。言葉は、私たちが思っている以上に、心と体に直結しているのです。
心理学では「言語化」が感情の整理に不可欠だと言われています。モヤモヤした気持ちも、言葉にした瞬間、輪郭が見え、扱えるようになる。日本には古来、「言霊(ことだま)」という概念がありました。言葉には魂が宿り、現実を動かす力がある――それは迷信ではなく、私たちの心身が言葉に反応する生理的事実なのです。
私が提唱する「性弱説」は、人間は本質的に弱い存在だという考え方です。だからこそ、言葉という道具で自分を支え、他者と支え合う。言葉は、弱い私たちが生きていくための、最も身近で強力な武器なのです。
今日から始める、言葉で整える実践
では、具体的にどうすればいいのか。難しいことは何もありません。
「ありがとう」を意識的に使う。
ただし、ただ口にするのではありません。「有難う」は、「難が有る」と書きます。つまり、その背景には誰かの苦労や努力があるということです。
家族に「ありがとう」と言う時、その人がそこにいてくれるまでの困難を思う。同僚に「ありがとう」と言う時、その仕事をやってくれた苦労を想像する。店員さんに「ありがとう」と言う時、その笑顔の背景にある努力を感じる。
背景を理解する。その瞬間、「ありがとう」は、ただの挨拶ではなく、心からの言葉になります。そして、その言葉は、相手だけでなく、自分の心も温めます。
戒語は慎む、そして意識から外す。
愚痴、悪口、自己否定。どうしても湧き上がる時は、スマホのメモやノートに殴り書きする。破り捨てる必要はありません。大切なのは、「ああ、私はこんなふうに思っていたんだ」と客観的に見つめること。書き出した瞬間、それはもう、あなたの一部ではなく、ただの「記録」になります。
そして、戒語を意識から外す。
その方法は、目の前の事実に意識を向けること。歩く時、「右足、左足」とつぶやく。足の裏で地面を感じる。風が吹いたら、肌に触れる感覚を言葉にする。「冷たい」「心地いい」「強い」。
頭の中で、目の前の事実を言葉にしていく。過去の後悔でもなく、未来の不安でもなく、ただ「いま、ここ」を言葉で捉える。それだけで、心は静かに、整っていきます。
夜、一日を振り返る。
ノートを開き、今日の感情を書き出す。イライラ、不安、悲しみ。それらを言葉にして紙に置いてくる。書くことで、感情は客観視でき、整理されます。そして最後に「今日もよく生きた」と一行だけ書いて、自分を認めてあげる。
いまを受け入れる。
感謝の背景を理解し、戒語を手放し、一日を振り返る。そうした積み重ねの先に、ようやく「いまの私でいい」「いまできることをやっている」と、いまの自分を受け入れられるようになります。
完璧な自分、理想の自分を追い求める必要はない。いまを受け入れることで、心は落ち着き、次の一歩が見えてきます。それが、新しいスタートです。
言葉は習慣です。毎日使う言葉が、あなたの思考を作り、感情を作り、やがて人生を作る。だから、丁寧に選びたい。意識的に使いたい。
あなたの物語は、言葉から始まる
言葉が物語を創る。物語が人生を創る。
あなたの人生という物語は、あなたが選ぶ言葉で紡がれていきます。今日、どんな言葉を使いますか?どんな物語を創りますか?
大丈夫。言葉は、いつでもあなたの味方です。
この記事を書いた人
コトダマファクトリー主宰。20年以上ウェディング業界に携わり、人生の転機に立つ人々と言葉の関係を見つめてきました。国会図書館で300年にわたる言葉の変遷を追い、その成果を『考えるチカラと言葉にするチカラ』として出版。言葉の歴史から、現代を生きる私たちへの知恵を伝えています。
