私は、昭和生まれです。
母は、専業主婦でした。
ご飯をつくるのも、洗濯物を洗い、干して畳むのも、ごみを捨てるのも、家の中のことは、すべて母の役目でした。
それが「当たり前」だった時代です。誰も疑問を持ちませんでした。
母自身も、きっと疑っていなかったと思います。
父は外で働き、母は家を守る。
役割分担は、明確でした。
そして、その明確さは、安心でもあり、同時に、逃げ場のなさでもありました。
82歳の母と、残った怒り
今、母は82歳です。父は86歳。
不思議なことに、母は今でも、父に嫌味を言います。
些細なことで。今さら変えようのないことで。もう、誰も傷つかなくてもいいようなことで。
私は、長いあいだ、それが嫌でたまりませんでした。
でも、最近、ようやく分かってきた気がします。
母は、「我慢してきた」のではなかった。
母は、「正しい役割」に、自分を預け続けてきたのだと。
誇りと、弱音を吐く場所
専業主婦であること。家庭を守ること。夫を立てること。
それは、美徳でした。誇りでもあったと思います。
でも、その誇りは、弱音を吐く場所を、持たせませんでした。
「疲れた」と言うこと。「つらい」と言うこと。「もう嫌だ」と言うこと。
それらは、役割を裏切る行為だったからです。
だから、怒りだけが、残った。
嫌味という形で。
皮肉という形で。
小さな棘として。
本人も、なぜ腹が立つのか、もう分からないまま。
「我慢」の本当の意味
これは、母だけの話ではありません。
昭和という時代が、多くの人に、正しさと引き換えに、感情を預けさせた。
そして、その感情は、行き場を失ったまま、今も、体の奥に残っている。
「我慢」という言葉は、本来「我を張ること」「執着すること」を意味していました。
仏教用語では、「我慢」は煩悩の一つ。自分の考えに固執する、という意味でした。
それが、いつしか「耐えること」「忍ぶこと」という美徳に変わった。
戦時中、または戦後には「抑圧」にまで、言葉の意味が変わった。
でも、本質は変わっていません。
「自分の正義に執着している状態」
それが、我慢の正体だったのです。
「我慢」とは、耐えたことではありません。
本当は、役割という正義に自分を縛りつけ、感じることをやめたことだったのかもしれません。
ある母親の、ひとつの夜
先日、ひとつの物語を書きました。
ワーキングマザーが、完璧であろうとして、苦しみ、そして、ある夜、何かを手放す物語です。
彼女も、母も、時代は違えど、同じ構造にいたのだと思います。役割に縛られ、無意識のまま、怒りだけが残る。
でも、彼女は、ある夜、気づきました。
完璧でなくてもいい。
弱くてもいい。
そして、我慢を手放してもいい、と。

私たちは、選べる
母を責めたいわけではありません。父を擁護したいわけでもありません。
ただ、私は思うのです。
もし、あの時代に、「少し休んでいい」「弱くていい」「文句を言ってもいい」 そう言える言葉が、もう少し、あったなら。
自分を「許す」ということに、もっと寛容な風潮があったのなら。
今、私たちは、選べます。
同じ役割を、生きなくてもいい。
同じ怒りを、受け継がなくてもいい。
我慢を、美徳として、次に渡さなくてもいい。
弱くてもいい。完璧じゃなくてもいい。
そう言える言葉を、今、私たちは持っています。
だから、今日、ひとつだけ。
自分の正義や役割にこだわる我慢を、
置いてみてもいいのかもしれません。
コトダマファクトリー | 言葉が、物語をつくる。物語が、人生を創る。 語義変遷から「考えるチカラ」と「言葉にするチカラ」を取り戻す。「我慢」の本来の意味は「思考停止」でした。人間関係やメンタル kotodama-factory.net
